【ネタバレ注意】「Knowing the Unseen」ストーリー振り返り。純度100%の東雲絵名、待ち望んだ父娘の対話

Knowing the Unseen
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「Knowing the Unseen」のあらすじ

Knowing the Unseen

美大を受けるべきかどうか悩んでいる絵名。その悩みは次第に焦りとなり、絵にも現れ始めてしまう。そんな折、不調を見抜いた雪平に悩みを打ち明けると、『課外授業』を提案されて……。

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前回のイベント「あの日、奏でた音色を」の要点まとめ

  • 奏、祖母から「奏自身の幸せ」を問いかけられる
  • 奏、父親の誕生日サプライズが初めての作曲だったことを思い出す
  • それが最終的に父を追い詰める結果になったことも同時に思い出す
  • 自責の念に駆られる奏に、絵名とKAITOが語りかける
  • 奏、少しだけ自分のことを許せるようになる

「あの日、奏でた音色を」は、奏の原体験を振り返るとともに、自分を殺し続けてきた奏がニーゴに救われる話でした。

純度100%の東雲絵名

「Knowing the Unseen」イベント、純度100%の東雲絵名でした。「好きを描いて♪レインボーキャンバス」も「願いはいつか、朝をこえて」も絵名が他者のために頑張る話だったので、絵名の内面をがっつり掘り下げるのは「空白のキャンバスに描く私は」以来ほぼ2年ぶり。「満たされないペイルカラー」「空白のキャンバス〜」と同様にとても内省的な話だから、まふゆの問題がヒートアップしていたここ最近ではやりにくかったことも理解できる。故に、絵名バナーのイベント自体約1年半ぶり。

今回は「水底に影を探して」で少し触れられた、高校卒業後の進路がメインテーマ。ニーゴのおかけでドン底から立ち直り、ニーゴに見合う絵をと描き続けてきた絵名。絵を突き詰めるなら美大を目指すべきということは理解しつつ、「私なんかが目指していいのか」と踏み出せない。その躊躇の根底にあるのは、かつて憧れだった父親に突き放されたトラウマ。

絵画教室でも明らかに集中できていない様子の絵名に対して、雪平先生が持ちかけたのは課外授業の実施だった。実施先は、他ならぬ父親・東雲慎英の個展。そこで絵名は慎英の半生を辿り、自分の内面と向き合うことになる。

父の絵と向き合う

「父親の個展だから」とメンバーに報告する時の、笑いながらも声は震えている感じがすご演技。その様子から、絵名がどんな想いなのかも想像しやすい。同時に雪平先生への信頼すごいなともなる。

雪平先生は「いい絵を描く」意外の視点を排除して接する、ある意味最もフラットに絵名を見てくれる人として繰り返し描かれてきた。その姿勢があるからこそ、最後に残った過去の因縁である父親の絵と向き合うことも受け入れられたのだろう。これまでは雪平先生の立ち絵がほしいと思ってたけど、もう今のままが一番いい気がしてきた。その方がこちらも先生のことをフラットに見られるので。

個展会場で雪平から投げられた問いは、慎英の絵を見て何を感じるかということ。問いに向き合おうとする絵名だが、これまで積み上がってきた様々なバイアスが邪魔をする。そこで助けになったのが、セカイから着いてきていたリンとレンの存在。偏見抜きで見られる2人の視点をヒントにたどり着いたのは、いつも自信満々に描いているように見えた父親が、自分と同じ様にもがき苦しんでいたこと。生活は苦しく、自分の表現は理解されず、そんな中で生まれた娘の存在に光を見て、せめてこの命は守ろうと筆を折ろうとしたこと。

ただ、極限まで思い詰めた結果「絵を描かないならば守りたいものも守れない。離れられないなら抱えて生きていくしかない」という結論に至る精神、それが一般的ではないことは慎英も自覚しているように思う。家族もろとも巻き込んででも自分の我を貫くということなので。だからこそ同じ苦しみを味わわせたくない、少なくとも中学時代の絵名の様子では乗り越えられないと絵の道から遠ざけようとした娘が、こんなにも自分にそっくりなのを見た今どんな気持ちだ?慎英。

父娘の対話

東雲慎英と絵名は絵を通じて相互理解を深める。絵を描き続ける限り、普通の親子のような関係にはきっとなれないだろう。それがいいのか悪いのかはまだ分からないが、落ち着くところに落ち着いた感じはする。

あの頃の絵名の様子では苦しみを乗り越えられないだろうというのは分かるが、「こんな私が」と思わせてしまったのは間違いなく慎英の責任。結果的に早い段階で挫折を乗り越えたことで常人より速いペースで人生進めているように思うが、ニーゴがなければ…というところで本当に結果オーライ。でも最後は笑ってたね、慎英。自分が愛する絵を、娘が同じように愛してくれているのはきっと嬉しいはず。牡丹の絵を描いた後につけたのかはわからないけど、名前に「絵」の字をいれるぐらいだから。本当に不器用な人。

改めて振り返ると、なにかが劇的に変わったわけではなく、絵名のマインドセットが整っただけ。それだけのこととは思えないほどの満足感があるのが絵名バナーの魅力だと思う。苦しみと向き合い、ひたすら自問を繰り返すのは大変なエネルギーを要するものなので。付け加えると、目に見える範囲では、話が進むごとに絵名の立ち振る舞いがどんどん落ち着いていく。書き下ろしの曲調も。

今の絵名がかつてのように泣き叫ぶようなことはそうそうないだろう。しかし「才能の有無」にこだわっていた序盤に比べ、「苦しみに満ちた人生を歩む覚悟を決める」という非常に大きな選択をしたのだ。自分が自分であるために、どれだけ悩んでも苦しんでも、絵から離れることはできない。「限りなく灰色へ」しかり「ノマド」しかり、「雨」は東雲絵名の苦しみの象徴として使われてきたので、「私は雨」は苦しみと共に生きていく決意を歌った曲だと理解しています。雨が上がることはなく当たり前に存在するものとして、激情ではなくある種の諦めをもって受け入れるのがどこか儚げな歌い方にも現れているのではないかと。

かなり根が深いと思っていた父親との確執が一段落し、あとは受験を頑張るだけというシンプルな状態に落ち着いた絵名だが、今後のストーリーはどう展開していくだろうか。ブルーピリオドばりに過酷な受験生活を描くのか、もしくは瑞希を筆頭とした他メンバーの問題解決に動くのか。

今にして思えば、雪平先生との再会がターニングポイントだったなと。あの人のおかげで絵名個人の問題は大体解決してしまった。

「歌うことは生きること」「描くことは生きること」「Knowing the Unseen」「Touch to Unseen」、頑固とも言えるほど一つのものへのこだわりが強いキャラがCV.鈴木みのりに多いのは本人の気質がそうさせるのかそれともただの偶然なのか。

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この記事を書いた人

ワルキューレがきっかけでした。
精神的に参っている時、歌で救われたのが執着の始まりです。中でも、コロコロと表情や声色が変わる赤い服を着た人から目が離せず、気がついたらこんなサイトを作っていました。

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