【ネタバレ注意】ニーゴワールドリンク「泡沫に抱かれて」ストーリー振り返り|絵名チャプターまで読んだ

ニーゴワールドリンク「泡沫に抱かれて」ストーリー振り返り

この先は「泡沫に抱かれて」ストーリーのネタバレを含むので読み終えた人だけ進んで下さい

※この感想は絵名チャプター公開時点でのものです。

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目次

「泡沫に抱かれて」のあらすじ

朝比奈家での話し合いを数日後に控えたある日、セカイへ来た奏達は若木に異変を見つける。それをきっかけに4人は『今とは違う生活を送っている』夢を見て——。

奏チャプター(2,3話)- 両親健在の世界で見える、別の可能性

年相応の明るさを見せる奏

ifの世界の奏は、まず第一印象から現実の彼女とは大きく異なる。年相応のテンション感で話す姿は、普段の静かで落ち着いた奏しか知らない自分が浴びるには火力が高い。

両親がともに健在という環境の違いが、彼女の性格にこれほど大きな影響を与えているということを、まざまざと見せつけられる。

作曲への姿勢の変化

興味深いのは、このifの奏も「K」を名乗り、作曲を続けているという点。音楽への情熱は変わらないものの、作る曲の性質が根本的に異なる。

両親が健在だからこそ生まれる「明るい曲」。それは現実世界の奏が自分に呪いをかけてまで作り続ける楽曲とは対照的。その変化は、本来は奏の曲に惹かれて集まるはずだったニーゴにも影響を与える。この世界線でも奏とまふゆは出会い、まふゆは奏の曲に触れるが、口では「明るい気持ちになった」と言いつつも、とてもそうは見えない表情。

奏自身が幸せそうだから悪いことではないが、欠けたものを埋め合う関係性のニーゴはこの世界にはないのだと思うとなんとも言えない気持ち。

絵名編(4,5章)- 希望を失った世界線の残酷さ

声のトーンが示す絵名の状況

ifの絵名の第一印象は、その声のトーンの低さ。明らかに現実の絵名とは異なる苦しさを抱えていることが、声だけで伝わる。絵名を外に連れ出した愛莉の口から出てくる「引きこもり」「リハビリ」という言葉が比喩ではないのだとその雰囲気や回想から実感させられる。

「生きていかなきゃ、いけないのかな……」の重み

序盤で最も胸に刺さったのは、絵名の「何も描けないまま、誰にも認められないまま——生きていかなきゃ、いけないのかな……」という言葉。これはまさに「Knowing the Unseen」の「そんな人生を、生きられるの?」という自問が現実になったらこうなるという答えと言える。ifとはいえ、ただ息をしているだけの状態を見るのは心にくる。

前述の通りifの世界では奏の作る曲の性質が違うため、それを聴いた絵名の反応も「希望があっていいね」で終わってしまい、心に届かなかった。そのため、奏の曲をイメージした絵を描くことがなく、その絵がきっかけで瑞希と出会うこともなく、 やがて抗う気力もなくなり、自撮りすらやめてしまった。

この一連の流れが、現実世界でのニーゴの結成がいかに奇跡的だったかを物語っている。更に全ての起点が奏であることも改めて実感する。奏が幸せだと自分の大好きなニーゴが生まれないという事実を見て自分がどう振る舞うのか試されているのかも。

複雑な対比関係

しかし興味深いのは、この世界線の絵名が必ずしも現実より不幸かというと、そう単純ではないということ。

結果的には再び絵を描きはじめ、コンクールで賞を獲得し、高3時点で周囲からは美大合格も楽勝と言われるほどで、自力で立ち直った結果孤独と向き合う覚悟も自然に身についているという状況を並べると、画家としてはむしろ現実の絵名より先を行っているまである。一度消える寸前まで追い込まれたからなのか、性格的にも穏やかで達観している様子。自分がよく知っている絵名の激情は鳴りを潜めている。

今後への期待

瑞希チャプターへの期待

瑞希チャプターに絵名が登場するのは確定。そして奏が作る曲の性質が違ったように、絵名も「ドロドロな色が、絵名って感じする」という絵ではないと思う。それを踏まえると、瑞希との出会いがどうなるのか怖い。でも絵名と瑞希との繋がりはクリエイティブの部分だけではないから、ファッションを通じて仲良くなる展開はありそう。

最終的にどう着地する?

絵名チャプターまで読んだ段階では、全体としてどう着地するのかまったく読めない。フレッシュな気持ちで楽しみたいから、他ユニットのストーリーを読まずに臨んだのは正解だった。

ここまで読む限りでは奏も絵名もifの世界のほうが安定しているように見えるが、それだけで終わるとは思えないし、単純に「現実の方が良い」とするのも無理がある気がする。「空白のキャンバスに描く私は」の「絵に向き合いきれなくて、それでも描き続けた私」じゃないけど、あったかもしれない未来の可能性を踏まえて、それでも今を肯定するような展開なのかなと想像している。

ただ時系列的に前回のまふゆバナーの前であることを考えると、ここがどれだけ綺麗な着地だとしてもこの後にあの地獄みたいな状況になるんだよなというのは引っかかるところ。いずれにしても瑞希チャプターを待ちます。

余談ですが、絵名役の鈴木みのりさんと瑞希役の佐藤日向さんは上海でいーあるふぁんくらぶを歌ったりしていました。

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